あまいにおい
大事に大事に握りしめて、手のひらでどろどろに溶けたアポロチョコ。
甘いにおいばかりの手のひらをしきりに舐めていたら、あのひとの顔が真っ赤になったのを覚えている。
それはたぶん、まだ本当に小さな頃のこと。俺はやっぱり小さな頃からアポロが大好きで、あればあるだけ食べ尽くしてはよく赤い鼻を垂らしていた。
「ヒカル、今日はもう食べちゃだめだ!」
小さな箱を抱えて走る俺をあのひとが追いかけてくる。もう残りの三角は数えるばかりで、掠めるようにして奪い取られる最中にひと粒転がり出たのを手の中に握り込む。
ヤケになったあのひとは、頑なに握りしめる手のひらをこじ開けようと必死だ。
たかがひと粒。食べるか食べないかは大差ないだろうけれど、ひとの血を嫌がるあのひとは俺がチョコを食べ過ぎることに過剰なくらい反応する。
「また血が出るんだぞ!」
まだ大人には程遠い指先が懸命に俺の手に食い込んでくる。それを邪険にできなくて、力負けしたように手を開けばピンクと茶の混じったどろどろのチョコが手のひらの上で液化していた。
さっきまではかわいらしい三角だったアポロも、熱に負けて跡形もない。
「……んなに強く握っから、溶けちまった」
どこか罰の悪そうにそう言って、べたべたの俺の手と、こじ開けることで自分もチョコ塗れになった手をじっと見ている。
体温に温められた小さな三角は、安いイチゴの香料とチョコの甘いにおいをぷんぷんと立ち上らせてひどく誘惑的だ。形を失ったって、チョコレートには変わりがない。
こくんと湧いてきた唾液を嚥下すると、俺はためらいなく溶けたチョコを舐めに顔をふせる。触れたままの手のひらだって逃がさない。ちゅう音を立てて吸いついて、舌できれいに舐めあげる。味がしなくなるまで、何度も、何度も。
ちらと上目遣いであのひとを見れば、顔だけでなく首も耳も真っ赤にして固まっている。くすぐったいのだろうか、すこし震えている。
「ハルくん?」
「ほらよ」
続く返事は、随分と大人びたもの。声変わりをした、聞き覚えのありすぎる声だ。
聞き慣れた音と共に小さな箱が頬にぶつかり、ぼんやりと意識を戻す。
「誕生日、おめでとさん!つうことで、これやるよ」
俺の好物。ちょうど、今思い出していた三角の甘いチョコ。
その時の俺の顔は多分、ひどい有様だったんだろう。無表情と言われることが多いけれど、このひとには全てわかってしまうから。
なんて顔、してんだと笑われる。だって、嬉しい。安い男でもいい。このひとに貰うからこそ、価値がある。
「ありがとうバネさん」
071215
リターン
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