「バネさん、ばーねーさん!起きて。起きてってば」
よく知った賑やかな声がする。力んで声を張り上げると、少し声が高くなって籠もる喋り方。リズムをとって繰り返し呼ばれると、逆に子守歌のように錯覚する。それくらいに俺は今、眠かった。
「バネさん!バネさん!」
身体を揺すられると、半覚醒の脳がシェイクされて不思議な感覚を呼んでくる。微睡んだこの瞬間がたまらなく心地いい。うるせえよダビ。そう言ったつもりの唇は、ウーとかアーとか呻き声だけが漏れた。
それでも瞼を上げる気にはならなくて、布団の中へ逃げようとしたら肩に体重がかかる。続いて唇に生暖かい感触。驚いて目を見開けば、視界いっぱいのダビデの顔。驚いてしばらく固まっていると舌先が俺の唇を舐める。
そこでやっと腕を突っぱねて、ダビデを遠ざけようとした。完全に出遅れている。
「バネさん起きた!」
満面の笑みの唇だけが、濡れてやけに赤味を帯びていて、正視することができない。その唇がさっきまで、俺の唇に、俺の唇に。
「お誕生日、おめでとう」
「ああ…」
俺の唇と、ダビデの唇が。これは十分立派にキスだろう。混乱する俺は奴が何を言ったのか理解するまで時間がかかった。
「ああって、そりゃねえよ。また一個先にいっといて」
膨れっ面になったダビデをやっと見て、それから何と言われたのかを今更ながらに理解した。今日は俺の誕生日だ。
「そればっかは…しょうがねえだろ」
誰よりも、何よりもこの歳の差ひとつがダビデにとって最大の敵でもある。俺たちが一斉に中学に上がる時のこいつの喚きっぷりといえば、今でもみんなが笑う有名な話だ。
「しょうがなくねえ。……けど、」
途中で言葉を切るもんだから、首を傾げて続きを待つ。
「……一生追いつけねえもん…」
ポロッとこぼしたのは、唇を噛んだ幼い顔。ああ、こんな顔をするから、いつだって俺はこいつを手放せない。俺がついてなきゃならないなんて、言い訳にしがみつく。
「一生追いかけてこいよ」
濡れていた唇は真っ白な歯に噛み締められて、痛々しい赤になっていた。それを伸ばした親指でぐいと拭ってやりながら、告げた言葉はひどく傲慢な言い種だ。
「!……うぃ」
そんな一言にだって嬉しそうに何度も頷くから、詭弁めいた自分の言葉の本当の意味を自覚する。
一生追いかけられていたい。このひとつ年下の男にだ。
それを認めて、やっと俺は歳を重ねた気がした。
070929
リターン
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